「テレビでの性的表現が過剰 どこまで許されるのか?」という文章を読んで

日々是好日

性的表現を規制することは果たして良いことなのか悪いことなのか。
もう終了したテレビ番組「竹山ロックンロール」が過剰な性表現だと批判されたが、規制することによって「面白くなくなるのではないか」というお笑いの観点で考えるよりも、それが見てる人に与える影響を考えてみたい。
いや違うな。それをなぜ過剰だと思うのかを考えてみたい。
例えば過剰な性表現とはどこからが過剰なのかと。。
これは多分時代によって変わってくんじゃないかと思う。

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「恥ずかしい」と「見たい」の関係

時代によって変わっていくと思うのかというと、以前読んだ本の中で

「見えるのが普通なら見えて恥ずかしいとは思わないが、見えないのが普通なら見えると恥ずかしい。そして、見えるのが普通なら見たいとは思わないが、見えないのが普通なら見たいと思う」

という人間の心理を読んだことがあるから。

着物を着ている女性はパンツ(ショーツ)を履いていない、つまり下から見上げたり、強風に着物が煽られると性器が見えるということがあった。

それが普通の時代だった。

それを考えれば今の女性はショーツを履き、ズボンも履く場合だってある。

階段を上ろうが風が吹こうが大事なところは全く見えない。

羞恥心

男性にとって女性の性器が着物からチラッと見えるということは、つまりショーツを履いていないということは、それが普通だった時代にはお互いそこまで羞恥心は覚えなかったはずである。

それが着物から洋服になり、パンツ(ショーツ)を履くようになってしまうと途端に、性器が見えるということはとてつもなく恥ずかしいものになってしまったのである。

と言うことは今の過剰な性表現と言われるものはもしかしたらパンツのおかげかもしれない。

着物から洋服になり、腰巻きからショーツになったことで昔では普通だった「見える」ということすら、もしかしたら今の時代は過剰だと捉えられるのかもしれない。

男性同士だと過剰なのか

まぁしかしここでいうカンニング竹山さんの過剰な性表現というのは男性同士の行為ということであるらしい。

というかそれって過剰なのか??

まぁ少なくとも男女の行為と同じぐらいの過剰さ加減ではあるが。

見方によっては「男性同士だからこそ過剰」と捉えているんじゃないか?と見てしまいがちな書き方だよな。

放送倫理・番組向上機構(BPO)では、それ以外の番組の性的表現をめぐっても議論されているみたいだ。

テレビだけでなくネットでもちょっと調べれば性的な表現なんてたくさん出る。

だけど、今はまだネットよりもテレビの方がだれでも簡単に見られる状況にあるので気をつけなければいけないと考えているのだろうな。

時代は変わる

ええと、何が言いたかったかというと、「時代は変わる」ってことです。

そして、時代が変わったことでそれをネタにできるようになった芸人やそれを楽しみたい人にとっては良いことでもあるけど、現代を生きる親世代にとっては我が子を脅かす悪いことでもあるのかもしれないってこと。