朝のテレビ番組「グッドモーニング」での林先生のコーナー「林修の金曜 旬 語録」から。
このコーナー、生放送でアナウンサーの回答がなかなか面白かったりします。
で、かんぶつえってなんだろうと思ったので調べてみました。
早速問題です。
12月25日は何の日でしょうか?
そう、クリスマスですね。島本真衣アナ、正解です。
「かんぶつえ」とは?
では「かんぶつえ」とはいったい何でしょう?
クリスマスが何の日か知っていれば「かんぶつえ」も何の日かわかるだろう、と林先生は言いたいようですが。
新井恵理那アナの回答がすばらしいです。
「エライ人が歩くときに使うやつ」
うん、確かに幹部などのお偉いさんは杖を持っていることがありますよね。
でもそういうことじゃない!(笑)
「かんぶつえ」とは「灌仏会」と書き、お釈迦様のお生まれになった日の事です。
つまり、4月8日はお釈迦様のお誕生日なのです。
お釈迦様は今から2500年くらい前にお生まれになりました。
そして現代、毎年4月8日は日本国中のお寺で様々な行事が行われます。
灌仏会の行事
ではいったいどんな行事をするのでしょうか?
たいていは花御堂という花で飾った小さいお堂を設置します。
その花御堂には浴盤というタライを設置し、そこに誕生仏を安置するのです。
誕生仏は、右手で天を指して、左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と言ったとされる誕生時のお釈迦さまの姿をかたどったものが有名ですよね。
そして、浴盤の中の誕生仏に甘茶をかけます。
灌仏会の「灌」とは「灌ぐ(そそぐ)」と読み、流しかける意味です。
つまり「甘茶を誕生仏に灌ぎかける儀式」ということです。
現在はお寺でなくてもお釈迦様の仏像(誕生仏)に甘茶をかけられる所があるようです。
灌仏会の呼び名
灌仏会の呼び名はいくつかあります。
- 花まつり(はなまつり)
- 仏性絵(ぶっしょうえ)
- 降誕会(こうたんえ)
- 龍華会(りゅうげえ)
なぜ、誕生仏に甘茶をそそぐ?
ここで問題です。ではなぜ、誕生仏に甘茶をそそぐのでしょう?
「それはお釈迦様が甘党だったからです」と答えた吉野真治アナ。
お釈迦様が甘党だったかどうかはわかりませんが、少なくとも好き嫌いはしなかったはずです。
甘い甘い甘茶を浴びるほど飲みたい!と思うのは、お釈迦様でなく私です。
誕生仏に甘茶を注ぐのは、お釈迦様がお生まれになった時の出来事に由来しているのです。
「おしゃかさまのたんじょう日」(佼成出版社)谷真介・作 赤坂三好・絵 によると、
摩耶夫人(まやぶにん)というお釈迦様のお母さんが、お釈迦様を身籠って出産のために故郷に帰る途中、ルンビニーの花園(ネパール)を訪れます。
そこに咲くアショーカの木の花の香りに誘われて庭を散策する摩耶夫人。
アショーカとはムユウジュ(無憂樹)という木の事でインドから東南アジアに生息しています。
寒さに弱い木なので、日本では温室でしか育たないようですね。
さて、摩耶夫人が花に顔を寄せようと小枝に手を伸ばすと、右の脇の下からお釈迦様がお生まれになりました。
脇の下からお生まれになったということは置いておいて、安産だったようですよ。
ですので、アショーカ(ムユウジュ)の木は、インドでは「出産・誕生・結婚に関わる『幸福の木』とされている」んだとか。
右の脇の下からお生まれになったことについて、林先生は「尊い方ですから普通の人とは生まれ方が違うんです」と言っています。
インドでは右が尊いとされているので、尊い方は尊い場所からお生まれになった、と考えるのだそうです。
右が尊い?
そういえば、インドではご飯を食べる手は右手でのみ、左手は不浄の手とすると聞いたことがあります。
それにお経で「偏袒右肩」という言葉が出てきますが、これは僧が相手に尊敬の意を表す衣の着方だそうです。
右肩を出して、左肩を覆うという着方ですが、一枚布で身体を覆うという着方だからこそ出来るのでしょう。
日本の着物でそれをしようとすると、遠山の金さんが桜の彫り物を見せるために片肌脱ぎするような感じになってしまいます。
遠山の金さんは置いておいて、右肩を見せる着方は「仕事がしやすい→仕える→あなたに仕えます→尊敬」、「右手清浄、左手不浄」、「右利きが多い→利き手に武器を持っていませんよ→尊敬」などの意味合いがあるといわれています。
お釈迦様の産湯
脇道に逸れました。
お釈迦様のお生まれになったときに戻りますと、突然お生まれになったので、産湯の準備が出来ていませんでした。
すると、空に龍の神様が現れてお釈迦様に甘露という「天界の甘い霊液」を注いだのです。
それが産湯になったということです。
霊液というからには甘露とは霊が宿る液体のことであり、しかもこの霊液を飲むと不死を得ることができるという故事があるそうです。
ですので、甘露の代わりとして誕生仏に甘茶を注ぐのですね。
甘茶について
ユキノシタ科(ガクアジサイの変種)
紛らわしいがアマチャヅルはウリ科で違う植物。
甘茶に含まれる成分
甘味成分
- フィロズルチン
- イソフィロズルチン
ショ糖の400~800倍、サッカリンの約2倍。
といってもどのくらいか想像がつきません。
色はほうじ茶みたいな茶色ですが、普通のほうじ茶かと思って口に含むと、びっくりしてダァーっと吐き出してしまいそうな甘さです(このほうが解りづらいですね)
フィロズルチンは人の体内では消化吸収されないらしいです。
だから、糖尿病患者などの甘味料として使えるのだそうですよ。
消化吸収されないなんて、本当にただ甘いだけなんですね、素晴らしい。
葉を発酵させることにより甘味が出ます。
茶葉製造は、蒸して、揉んで、乾燥させる、、、というものらしいので、緑茶の製造工程と同じ。
苦味成分はタンニン。
カフェインは含まれてません。
甘茶の効用など
生薬として、抗アレルギー作用、歯周病に効果があるそうです。
毒性はないらしいですが、濃すぎる甘茶を飲むと中毒を起こして嘔吐する恐れがあるらしいので注意が必要。
まぁでも、甘茶は少しの茶葉でもよく出ますし甘くなるので濃くする必要もないような。
1リットルに2~3gの茶葉でよいそうです。私はもう少し少な目の茶葉で煮出していますが。
ケチな私はできるだけ少ない茶葉で甘茶を煮出したいとしか考えていなかったので、中毒を起こしたことはありません(笑)
お湯に長時間茶葉を入れたままだと苦みが出るそうですが、私の場合は苦みを感じたことはありません(茶葉が少ないから?)
茶葉を入れたままにして時間が経つほど甘味が強くなるような。。。
気のせいかもしれませんので、長時間入れておこうって思った方は自己責任でお願いします。
天上天下唯我独尊
またまた脇道に逸れてました(笑)
甘露の産湯を浴びた後、お釈迦様は七歩歩いてから、右手で天を指して、左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と言いました。
しぐさだけをみるとサタデーナイトフィーバーに似ていますが、真似をしたとしたらジョン・トラボルタのほうですね(笑)
ところで「天上天下唯我独尊」を私は「てんじょうてんがゆいがどくそん」と読んでいましたが、それは間違いだそうです。
「てんじょうてんげゆいがどくそん」と読むのだそうです。
考えてみれば、天の上と下、つまり上下(じょうげ)なのだから「てんじょう」と「てんげ」に分かれますよね。
福田成美アナはさらっと正解を答えました。さすがです。
「天上天下唯我独尊」の意味を問われた新井恵理那アナですが、「字的に『僕が一番この世でエライ』って感じがします」
確かに字だけ見るとそんな感じしますが・・・
「自分が尊い存在だと知った。ということは、同じように他のものも尊い存在だということが解った」という意味なのです。
つまり人は皆、かけがえのない命を生きている、とお釈迦様はお生まれになった日に悟ったというのです。
「そのかけがえのない命を持って、煩悩から逃れていくこと、これが仏教の目的なんです」と林先生は語ります。
うーん、私は「煩悩から逃れていく」というよりも「煩悩に振り回されないようになる」のが仏教の目的と思いたい。
一休さん
一休宗純禅師の歌に「有漏地(うろじ)より無漏地(むろじ)に帰る一休み 雨降らば降れ 風吹かば吹け」というものがあります。
有漏とは煩悩が有る世界。
無漏とは煩悩が無い世界。
と番組ではありましたが、無漏は「煩悩が無い世界」というより「悟りの境地」と捉えたほうが私にはわかりやすいです。
一休宗純禅師のこの歌は師の華叟宗曇(かそうそうどん)から授けられた「洞山三頓の棒」という公案(臨済宗の修行のひとつ)に対しての見解と言われています。
琵琶法師の平家物語を聞いた後の坐禅で悟ったのだそうです。
「一休」の号はこの時に師から授かりました。
この「有漏」という言葉が現在でも使われています。
それは「うろうろ(する)」。
「現世は煩悩に満ちている。どこに行けば良いか迷ってうろうろする」という意味だそうです。
このように現代でも使われている仏教用語はたくさんあります。
仏教に由来する言葉は?
そこで問題。
下の3つのうち、仏教に由来する言葉は?
青 窓
赤 台所
緑 玄関
草薙和輝アナは緑を選択。緑を選んだ理由は「音読みというところ。玄という入口があったのかな、と。そこから仏さまが入ってきたのかなと。」
島本真衣アナと新井恵理那アナも緑を選択。
福田成美アナは赤を選択。「私も文字ですね。台・所。台の上にお釈迦様がいるんじゃないか、っていう。」
吉野真治アナは青を選択。「これはですね、窓という漢字には心という字が入っていますよね。やっぱり仏教とは宗教ですから心の拠り所となるというところで窓ではないかな、と。」
玄関の由来
正解は緑の玄関。
玄関とは「玄妙な道に入る関門」という意味。つまり「仏門に入る」ことを言うのだそうです。知らなかったー。
玄妙とは悟りという意味らしいです。
悟りといえば悟りか?
goo国語辞書によると、げんみょう【玄妙】とは「道理や技芸などが、奥深く微妙なこと。趣が深くすぐれていること。また、そのさま。」だそうです。
素人に対する玄人のように専門的なことが妙(すぐれている)だということなのでしょうか。
仏門という奥深いすぐれたところへ入っていくための門、それが玄関なのですね。
そんな意味を知ってしまうとおいそれと出入りできなくなりそうですが、今ではそんなものすごい意味ではなく、ただ単に出入りするところ、家の入り口くらいの意味合いでしょうね。
窓の由来
窓は「間戸」に由来するようです。
間戸とは柱と柱の間で壁や戸ではないところのこと。明り取りや風通しを良くするために開けたものです。
日本家屋ならではの言葉のようですね。
台所の由来
台所は平安時代の「台盤所」から。台盤という食べ物を盛った盤を載せるための脚付きの台が置かれる所。略して台所。
灌仏会から一休さんから玄関まで盛りだくさんの今週の「金曜旬語録」。
楽しかったですし、とっても勉強になりました。
ところで、「きんぴら」の語源を知っていますか?
~参考にさせてもらったサイト~