本来「切磋琢磨」に仲間は必要なのか?

アメジスト原石

アメジスト原石

仲間と切磋琢磨する、などと使う「切磋琢磨」ですが、本来何のことを言っていたのでしょうか?

この言葉は、紀元前の中国で徳の高い人について書かれた「如切如磋如琢如磨(切するが如く磋するが如く琢するが如く磨するが如し)」に由来します。

「せっするがごとく、さするがごとく、たくするがごとく、まするがごとし」と読みます。

「詩経」衛風・淇奧にあります。

詩経とは四書五経のひとつで、中国最古の詩集のようなもの。

衛風とは衛という国の民謡というくらいの意味です。

淇奧(きいく)とは川が曲がって窪んでいるところのこと。

「川の向こうの奥まったところに生える、緑の映える美しい竹のような君子」と、衛の11代目君主である武公(ぶこう)を称えた詩がありますが、その一節に「如切如磋如琢如磨」と書かれています。

その他にも衛風・淇奧には「充耳琇瑩会弁如星」とか「如金如錫如圭如璧」とも書いてあります。

いずれも「~のごとく」って例をあげて「~みたいに美しい、素晴らしい!」と褒め称えているようですよ。

で、切磋琢磨の意味ですが、

「切」「琢」は切り出したり叩いたりして形を整えるという意味。

「磋」「磨」は訓読みで「みが(く)」と読み、仕上げを表しています。

つまりこの言葉は修養に励む徳の高い人のことを細工師が技を尽くして宝飾品を仕上げていく様に例えて褒め称えた言葉なのです。

「切磋」は象牙などを切り出して磨くこと。

「琢磨」は玉や石をたたいて磨くこと。

ということで、切磋琢磨とは、本来、細工師の技巧のことを言っていたのです。

そして詩経に書かれたことから、道徳や学問に努め励むことを言うようになりました。

その後、現在のように仲間同士が励まし合い、競い合って高め合うことも表すようになったのです。

切磋琢磨とは仲間がいることが前提だと思っていましたが、宝飾品を仕上げるように自らを磨き上げることが本来的な意味だったのですね。

現代の日本では、切磋琢磨するといえば二人以上の人間がいることが前提のようです。

仲間と励まし合い、競い合うという意味も熱血スポーツマンガっぽくていいですよね。

だけど、本来の意味、つまり「たたいたり磨いたりする」という、自らの技巧を高めていくという意味も私は好きです。

コツコツと磨き上げていくと宝飾品でも学問でも最高のものができあがるのだと思います。

地道にコツコツと磨き上げていきたいですね。

ところで「きんぴら」の語源を知っていますか?