「人間到処有青山(じんかん いたるところ せいざんあり)」
という文章を知っていますか?
月性(げっしょう)(1817~1858)が旅立ちの時に詠んだ一節です。
中国の蘇東坡(そとうば)(1037~1101)という人が、獄中で死を覚悟して残した
「是処青山可埋骨(是るところの青山骨を埋むべし)」
という言葉がもとになっています。
この言葉は「故郷に拘らず、その辺の山に骨を埋めてくれればいい」という意味です。
ここから青山を「死に場所」「墓地」というようになりました。
「人間到処有青山」の「人間」は「にんげん」ではなく「じんかん」と読みます。
「人間万事塞翁が馬(じんかん ばんじ さいおうがうま)」のように「人間(じんかん)」とは「人の世」「世間」といった意味合いです。
ということで、「人間到処有青山」とは「世の中どこで死んでも墓はある」という意味になります。
僧である月性の「学問を成し遂げるまでは二度と戻らない。たとえ異国で死んでも構わない」という強い覚悟を表しています。
その後、この「人間至るところ青山あり」とは「しがらみにとらわれず、故郷を離れ、大いに活躍するべきだ」という意味で使われるようになりました。
男児立志出郷関(男児 志を立てて郷関(きょうかん)を出ず)
学若無成死不還(学 もし成るなくんば死すとも還らず)
埋骨豈惟墳墓地(骨を埋むる あに ただ墳墓の地のみならんや)
人間到処有青山(人間到る処青山有り)
「志を立てて故郷を出たからには、成就しなければ死んでも故郷には帰らん!
先祖代々の墓でなくてもどこに骨を埋めても構わん。どこだって墓になるってもんだ。」
てな感じでしょうか。
これってやはり故郷が大事で、家族を思って墓を継いでいきたいという気持ちがあったからこその言葉ととってしまいます。
でも本当に言いたいところは「学問しろ」ってことでしょうけど。
学問を修めて満足したら故郷に帰るというのは無理でしょう、学問を修め尽くすことはできませんから。
ということは、故郷に帰らないことが前提ですよね。
だからこその「どこで死んでもかまわない」という覚悟なのでしょう。
月性は浄土真宗本願寺派の妙円寺の住職で、吉田松陰と久坂玄瑞をを引き合わせた人物です。
また、国防つまり海の守りを急がなければいけないと説き、人々から海防僧と呼ばれていたようです。
国のために、人々の安泰のためにと奮闘した僧なのでしょう。
「人間到処有青山」の覚悟を私も見習いたいと思います。