朝のテレビ番組「グッドモーニング」での林先生のコーナー「林修の金曜 旬 語録」から。
今日の旬語は「こくう」です。
「こくう」
「こくう」を漢字で書くと「穀雨」です。
穀雨は期間を表す言葉で、4月20日から5月4日までとなります。
5月5日が立夏ですので、その前日までの15日間ということです。
このように15日ごとに一年を区切っていくことを「二十四節季」といい、立春から始まり、雨水、啓蟄、春分、清明、そして穀雨、立夏・・・と続いていきます。
穀雨は春季最後の節季。
つまり、暦の上では次は立夏となり、そろそろ春も終盤に差し掛かっているのです。
穀雨の意味は「穀物を潤す春の雨」。種蒔きの頃です。
農家では種籾を蒔いて苗を育てる時期です。
正岡子規と夏目漱石
正岡子規は随筆「墨汁一滴」の中で、こんな回想をしています。
22歳のころに東大の同級生の夏目漱石と田んぼを見ながら散歩をしていました。
その時、子規が驚いたことがありました。
それは、漱石が「米がこの苗の実であることを知らなかった」ということです。
漱石は今の新宿区の出身です。田んぼなんて見たことがなかったのでしょうか。
それに対し、愛媛出身の子規は「都会の人が一人前の人間になろうとしたら、どうしても一度は田舎暮らしをしなければならない」と言っています。
夏目漱石と芥川龍之介
後に芥川龍之介が「あの話は本当?」と文学上の師匠である漱石に聞きました。
それに対する漱石の答え。
「僕も稲から米がとれる位のことはとうの昔に知っていたさ。
それから田んぼに生える稲も度たび見たことがあるのだがね。
ただその田んぼに生えている稲は米のとれる稲だということを発見できなかったのだ。」
え?んん??どういうことだ?
「つまり頭の中にある稲と目の前にある稲との二つをアイデンティファイすることができなか
ったのだね。
だから正岡の書いたことは一概に嘘とも本当ともいえないさ。」
すごくまどろっこしい言い方ですね。
アイデンティファイとは「同定する・同一物であると認定する」というような意味です。
稲から米がとれることは知っていた。
そして田んぼも見たことがあった。
ただ、目の前に青々と生えている苗が自分の知っている「米が実る稲」と一つにはならなかった、ということらしいです。
つまるところ、漱石は米が実る稲がどんな植物なのか知らなかった、ということでしょう。
漱石が理屈をこねた意味
もう一つ深い意味があります。
なぜ漱石はあんな理屈をこねたのか。
穀雨の時期はタケノコが生えてきますね。
先程の正岡子規の随筆「墨汁一滴」には「四十歳くらいになる東京の女性にタケノコの話をしたら、驚いて『タケノコが竹になるのですか』と不思議そうにしていた。」ともあります。
「この女性もタケノコも竹も知っていたのだけれど、二つのものが同じものであることを知らなかった」のです。
正岡子規と夏目漱石は本当に仲が良く、親友だったそうです。
彼が書いたこの文章を知っていたうえで、似たようなことが自分に起きていて、優秀な弟子の芥川龍之介に聞かれたらこれをふまえて芥川がにやりとするような少し小難しい理屈に仕上げて答えたのが上のものなのだそうです。
種まき鳥
穀雨は種蒔きの時期のことですが、「種まき鳥」という鳥がいるのをご存知でしょうか?
種まき鳥とはカッコウことです。
カッコウが鳴き始めると種蒔きの時期の目安とされています。
カッコウの別名は「閑古鳥」ですよね。
お店にお客さんがいないことを「閑古鳥が鳴く」と言います。
ではここで問題です
カッコウは漢字で書くと「郭公」です。
しかしかつてはこの字は別の鳥を意味していました。
その鳥はなんでしょうか?
青 ウグイス
赤 ホトトギス
緑 カラス
正解は?
正解は徳川家康の作といわれるこの一句でわかります。
なかぬなら鳴まで待よ郭公
ということで正解は赤 ホトトギスです。
ホトトギスはカッコウと同じカッコウ目・カッコウ科に分類されるのでカッコウに見た目が似ています。
さらにホトトギスは万葉集などで「霍公(かくこう)」と表記されています。
そしてカッコウは「郭公(かくこう)」です。
読みも同じ、見た目も似ているということで、結果的にホトトギスの「かくこう」がカッコウに当てられてしまったのだそうです。
ホトトギスには「霍公(かくこう)」以外にも時鳥、不如帰、子規などと書きます。
それ以外にも杜鵑、杜宇、蜀魂、田鵑などとも表記されてきました。
ホトトギスと正岡子規
ホトトギスは鳴くときに口の中の赤い部分が見えるのですが、このことから「鳴いて血を吐く鳥」と言われています。
正岡子規は若くして結核を病んで喀血する自分をホトトギスに重ね合わせて「子規」と名乗ったのです。
ホトトギスってなんでいくつも異名があるのでしょうね?
ホトトギスとカッコウの習性
異名がたくさんあるのはともかく、ホトトギスもカッコウと同じく托卵の習性があります。
托卵とは、自分で巣を作らず他の種類の鳥の巣に卵を産み付けてそこで育ててもらうことです。
カッコウは托卵すると知っていましたが、ホトトギスもするのですね。
子供の頃、卵から孵ったカッコウの雛がまだ孵っていない卵を巣の外に器用に背中で押し出す写真を見て、生き残るためにはこんなこともしなければいけないのか、とゾッとしたことを覚えています。
その雛が育つと育ての親鳥の倍くらいは大きくなるので「いやいやその前に気付こうよ」と突っ込みたくなってしまいますが、気付いたところで実の子(卵)は巣から落とされているし、自分が温めてきた雛は餌をくれって口を開けているし、では、たとえ自分の子でなくても育てるしかないのか・・・とやるせなくなってきます。
実際に鳥がそこまで感情を持っているのかはわかりませんが。