4月12日は「東京大学記念日」です。
東京大学と言えば、赤門が有名です。
徳川家斉の第21女、溶姫(やすひめ、ようひめ)を迎えるために造られたそうです。
この日の問題は、その「赤門」から。
色の名前「赤」の語源は?
青 明るい
赤 秋
緑 言わなくても
答えは?
正解の前に、緑のボケの解説。
「言わなくてもわかるでしょ、ばか💛」
だそうです‥‥。
「あか」と「ばか」、う~ん、まあ、、、ねえ。
いつも通りですが、コメントに困ります笑
林先生は「アッカ隊長」のほうがいい!とおっしゃっていました。
アッカ隊長とは「ニルスのふしぎな旅」に出てくるガンの群れの隊長です。
ちなみにアッカ隊長は雌。
この「ニルスのふしぎな旅」は、スウェーデンのセルマ・ラーゲルレーヴという女性作家が執筆した児童文学で「小人にされた14歳の少年ニルス・ホルガションがガチョウのモルテンたちと一緒にスウェーデン中を旅する」というお話で、日本では1980年にテレビアニメが制作、放映されました。
すみません、ちょっと旅に出てしまいました‥‥。
さて、正解ですが、青の「明るい」でした。
JIS慣用色名には現在269色が規定されていますが、古代の日本にはたったの4色しかなかったそうです。
そして、その呼び方も「赤」や「青」ではなく、明るさで表していたのだとか。
白=顕
赤=明
青=漠
黒=暗
というように、「赤」は古代「明」と表されていたそうです。
色彩でなく光の強さとか明るさとかの感覚らしく、2つづつ対義語になっているそうです。
明(赤)⇔暗(黒)
顕(白)⇔漠(青)
古代の日本の色
林先生の説明によると「古代」の日本の色は4色だったそうですが、原色というのか大枠というのか、それが4色だったということでしょう。
古代といえば大和、飛鳥、奈良、平安時代のこと。
その頃の色のとらえ方は現在の「色相」よりも「彩度」と「明度」が大事だったという説があります。
色の波長よりも「明るいか暗いか」とか「鮮やかかくすんでいるか」ということを基準に色というものをとらえていたということです。
「明(赤)」は彩度が高くて色が鮮やか
「暗(黒)」は明度が低くて光がない
「顕(白)」は明度が高くて明るい
「漠(青)」は彩度が低くてくすんでいる
林先生の説明では「明の対義語が暗」「顕の対義語が漠」となっていましたが、上のように考えると明度と彩度で対にしてもいいような気がしてきます。
「顕(白)」は明るいは明るいでも光り輝くshinyな明るさで、「漠(青)」は漠然というようにぼんやりとか濁っているとかそんな感じなので、これが対でも変ではない、、のかもしれませんけど。
光り輝くshinyな「顕」と暗黒の「暗」が対、鮮やかな「明(赤)」とくすんでいる「漠(青)」という組み合わせも捨てがたいと思ってしまいます。
相撲の四隅にある房
ところで、土俵の上の屋根には四隅に房がさげられていますが、その色は赤黒白青なのです。
それと古代の色が同じだからどうだってわけではありませんが、偶然だとしたら興味深いですね。
相撲は神事なので、房は四方を司る四神に由来しています。
本来は柱があり、その柱に4色の紐が巻き付けられていたのだそうです。
青=青龍
赤=朱雀
白=白虎
黒=玄武
こちらの四神は「色相」つまりいわゆる色から採用されている名前だと思っていましたが、もし違うのであればそれはそれで面白いと思います。
五行説の色
そして、「色相」よりも「彩度」と「明度」で色を分別していたのが古代日本人だけでなく、古代の中国人もだとしたら。
五行説の木火土金水に当たる色が青赤黄白黒なのも納得できるような気がします。
木=青
木は草木の芽が出始めるので「青」。
「青臭い」「青二才」「漠然」というように、若さやまだハッキリしないもやもやした状態だという意味なのではないでしょうか。
彩度が低くてくすんでくるとほとんどの色が灰色に近づくそうですが、ハッキリしないもやもやのイメージだと思えます。
火=赤
火は燃えている炎で「赤」。
夜に燃える炎なんて、あまりにもハッキリと鮮やかですよね。
土=黄
土は四神にも古代の色にもありませんが、五行では中央とか土台を指しています。
日本では赤と黄色はたいして違わないと感じられていたようで、もみじのことを「紅葉」「黄葉」どちらでも書いていたようで、現在でもどちらも「もみじ」と読みます。
金=白
金は鉱物の意味合いだと言われていますが、私は金のイメージが「天」なので鉱物ではしっくりしませんでした。
もし、金=白=顕=明度が高くて明るい、と考えるとスッキリと澄んだ秋の空のような「天」のイメージになります。
そうすると、金は天空の「顕(白)」と言えそうです。
ただし、鉱物の意味もあるはずなので、二重の意味合いがあるのではないかと考えます。
水=黒
水は泉や川などを流れる水と言われていますが、これも私の中では暗い土の中のイメージでした。
もし、水=黒=暗=明度が低くて光がない、とすると、これまたしっくりくるのですよね。
ということで、真っ暗な土の中の「暗(黒)」と言いたいです。
こちらも水ではないってわけはありませんから、きっと二重の意味合いがあるのでしょうね。
いずれにしても色って奥深いですねぇ。
古代人の網膜
眼球の一番奥には網膜という0.1~0.4mmほどの膜があり、そこに錐体(すいたい)細胞と杆体(かんたい)細胞という2種類の視細胞があります。
錐体細胞は明るい場所で色を認識することができ、杆体細胞はほんの少しの光でも感知できるので、暗い所で主にはたらきます。
ただし、錐体細胞は暗いところでは色を認識できず、杆体細胞は明暗を識別するだけなので色は認識しません。
つまり、人間は暗い場所で、その物がどんな形をしているのかわかっても、どんな色をしているのかわからないのです。
古代の日本人が色相よりも彩度と明度を重要視していたからと言って、夜行性だったわけでもその頃の日本が極端に薄暗かったわけでもないと思います。
ついでに古代の日本人が色覚異常だったのかというと、それも違うような気がします。
先天性色覚異常を持つ人は、日本においては男性で約5%、女性で約0.2%の割合であるが、フランスや北欧では男性で約10%、女性で約0.5%であり、アフリカ系の人では2 – 4%程度である。
色覚異常(Wikipedia)
そう考えると、生理学的な問題ではなく心理的・情緒的な、すこぶる日本人的なものの見方だったのだろうと思います。
日本人的とは言っても、日本人のものの見方に中国などから入って来た思想が混ざってはいるでしょう。
古代の人の網膜は残っていなくても、万葉集などの記述から古代日本人がどんな色の見方をしていたのかを推測することはできそうです。
ロマンが広がりますね。
赤門はいつ出来た?
赤門から派生した問題なので、赤門についても少し調べてみました。
東京大学は日本国内で初めて近代的な大学として、東京都文京区本郷に設立されました。
文部省所管として「官立東京大学」が創設されたのが、1877年(明治10年)4月12日なのだそう。
東京大学と言えば「赤門」ですよね?
本郷キャンパスの校門の一つでもある「赤門」は東京大学の異称となっているほど有名ですが、この赤門が発端となり他の大学も「○門」という異称を持つようになったようです。
有名なのに正門ではないこの「赤門」、Wikipediaには ↓ のようにあります。
赤門(あかもん)
キャンパス南西部にあり、本郷通りに面している。同キャンパスの正門とよく間違われるが、正門ではない。
旧加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門であり、1827年に第12代藩主前田斉泰が第11代将軍徳川家斉の第21女、溶姫を迎える際に造られた。建築様式としては薬医門であり、切妻造となっている。左右に唐破風造の番所を置いている。国の重要文化財、旧国宝。
転じて東京大学の俗称となっている
東京大学の建造物(Wikipedia)
当時の加賀藩主である前田斉泰との婚礼の際、加賀藩上屋敷に建てられた溶姫御殿の正門が「赤門」ですが、それよりも溶姫は15歳での輿入れ、斉泰は16歳だったことに驚きです。
その頃はそれが普通だったのでしょうけど。
古代日本へのロマンが広がる「ことば検定」
東京大学の設立記念日ということから、スウェーデンの「ニルスのふしぎな旅」へ、そして、古代の日本や日本人の色やもののとらえ方などを考えさせてもらえる、とてもよい機会になりました。
なにより、今までしっくりこなかった五行説が納得いくものになり、林先生のことば検定に感謝です。
さてスッキリしたところでアッカ隊長に会ってこようかな。
ことば検定
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