かきつばた 花の名前の由来は「書き付く」林先生のことば検定+

5月に見頃を迎える花のひとつに「かきつばた」があります。
紫の美しい花で「甲乙つけがたい」という意味で「いずれ あやめか杜若(かきつばた)」という言葉でも知られていますよね。
そしてかきつばたといえば、平安時代の伊勢物語に出てくる在原業平の詩が有名です。

ら衣
つつなれにし
ましあれば
るばる来ぬる
びをしぞ思ふ

この頭文字に「かきつばた」と忍ばせてあるのがしゃれている、と林先生はおっしゃいます。
今から1200年近くも前に生きていた人が現代のSNSの縦読みのようなことをしていたとは驚きます。

2020年5月11日の林先生のことば検定+では「かきつばたの花の名前の由来は?」という問題が出ました。
そこで、「日本の植物学の父」といわれた牧野富太郎について、染色について、薬狩についてなど調べてみました。

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かきつばた 花の名前の由来は?

かきつばた・アップ

5月に見頃を迎えるかきつばたの名前はどんなことに由来しているのでしょうか?

問題

「かきつばたの花の名前の由来は?」

 青  書きつける
 赤  欠ける
 緑  キーが抜けない

緑のボケ

今日の 緑 は「かきつばた」ではなく「かぎつまった(鍵詰まった)」だそう。
そもそも鍵って詰まりますかねぇ??と不思議そうな顔をする林先生でした笑
リアリティがないのがお気に召さなかったようです。

答えは?

さて本題です。
答えを先に言ってしまうと 青 の「書きつける」です。

万葉集には大伴家持のうたで下記のものがあります。
因みに昔は「かきつはた」と清音だったそうです。

かきつはた 衣擦り付け ますらをの 着襲(きそ)い狩する 月は来にけり

このうたに出てくる「狩」とは「薬狩」といって、春に薬草などを採ることをいうのだそうです。
ですから、このうたは「かきつばたを衣服にこすり付け、男たちが着飾って薬狩りをする、その季節がきた」という内容になるのだそうです。

では、なぜかきつばたをこすりつけるのでしょうか?
実はかきつばたの花は、古くは染料として使われていて、花の汁を衣服にこすりつけて染めていたのだそうです。
そして、この「こすりつけて染める」という染め方を「書きつく」と表現するのだそうです。
書きつける花 → 書き付け花 → かきつばた
と変化したのだと考えられています。

牧野富太郎

イヌノフグリ

植物学者の牧野富太郎が実際にやってみたところ、白いワイシャツの胸元がきれいな紫色に染まったそうです。
「日本の植物学の父」といわれた牧野富太郎は、裕福な家に生まれ、幼少から植物に興味を持っていたようです。
すごいのは、当時の小学校を「家業を継ぐから学問で身を立てる気はない」と中退したのに、15歳から2年間小学校で教鞭を取ったり、31歳で帝国大学理科大学の助手となり、さらに50歳から77歳まで東京帝国大学理科大学講師だったということです。
当時の小学校を卒業してもいないのに大学の講師になれるのですから、それだけ必要とされる人物だったということでしょう。
そうとう反対する人や圧力もあったのだと想像されますが、それに負けないくらい植物の研究がしたかったのでしょうね。

命名した植物は2500種以上と言われているほどで「雑草という名の植物は無い」という名言を残していることでも有名です。

また植物図鑑や自叙伝なども著しています。
『牧野新日本植物図鑑』 や『原色牧野日本植物図鑑』など図書館で調べ物をしていて見かけたこともあるのではないでしょうか。

好きなことを生涯にわたって研究できたことは羨ましい限りですね。

書きつく染め方

染め物の瓶

かきつばたは「書付花(かきつばな)」が語源だと文政四年出版の荒木田久老著『槻の落葉信濃漫録』に載っている、と牧野富太郎は言っています。
そして仕事でかきつばたの群生を見たとき、大伴家持のうたを思い出して白いハンカチにかきつばたの花をこすりつけたらきれいに染まったので、興に乗じて着ていた白ワイシャツにもこすりつけたのだとか。
染色に使われていたくらいの花なのだから、もう色が落ちないよね?とか思わなかったのでしょうか‥‥。
桑の実を食べてシャツの襟元や袖先を紫色に染め、家に帰ったら親に叱られた幼い日を苦く思い出したのは私だけでしょうか。

縄文時代の日本ではすでに染色が始まっていたという説もあるそうです。
その頃の方法こそ「書き付く」ものでした。
「摺り染め」という手法で、植物や土や貝などを直接布に擦りつけていたのだそう。
牧野富太郎がハンカチやワイシャツに擦り付けたのと同じ方法ですね。
それにしても、花をそのまま擦り付けて染色するなんて、着物一枚染めようと思ったら気が遠くなるような作業だと思うのですが。

飛鳥時代のころには染液に浸して染める方法が使われ始め、奈良時代には﨟纈染めなどの方法が伝わってきたといわれています。
平安時代には染物よりも織物が人気だったようです。
染物は白い生地に色を染めていくもので、織物とは先に糸を染めておいてから織った布のこと。
とすると、平安時代には真っ白の着物などあまりなかったのではないかと想像されます。

大伴家持のかきつばた

かきつばた・群生

万葉集や短歌などに馴染みも興味もないと、なぜ薬狩でかきつばたを擦り付けているんだろう?と不思議に思ってしまいます。
しかも、まるで薬狩に行った先でかきつばたを見つけたから擦り付けた!みたいなうたに感じてましたし。

薬狩

薬狩とは陰暦5月5日に行われていた宮中行事だそうです。
薬草を摘む地味な作業かと思ったら、天皇に付いて鹿を狩る行事みたいです。
その行事での衣装や冠などが位階で決められていたともいいますので、そうなると「着襲(きそ)い」な訳ですね。

鹿が薬?と思いますが、鹿の角は鹿茸(ろくじょう)と呼ばれる生薬になるので、それを狙ったのでしょう。

ところで、かきつばたのうたは「狩りの季節だぜ!」というウキウキなうたではなくて、「みんなが狩りに行ってる日に独りで家にいて作ったうた」だそうなので、物悲しい気分や羨ましさのこもったうたなのかもしれないですね。

着飾った色

調べていくうちに、薬狩に行った先で花を擦り付けた訳ではなく、かきつばたの花で摺り染めした衣装を着て薬狩に行くということなのだろうなとわかりました。

かきつばたの花の色は紫色ですから、摺り染めした衣も紫色か青紫色だったのではないでしょうか。
その色の衣装がメジャーだったというよりは、季節の色としてかきつばた色を選ぶことが多かったとか、うたに詠むためにその季節の花の色を選んだらかきつばただったのかもしれませんね。
いずれにしても、緑の中に紫色や青紫色の衣装で狩りに興じるところを想像すると派手に目立つのではないかと思います。

薬草と染色

『医心方』という古い医学書や『大同類聚方』という薬学の本などから、薬を煎じた液に浸して糸などを染めたのが浸し染めの発端なのではないかと考えられるそうです。
薬狩はもともと薬草を摘む日でもあったことから、薬狩かきつばた染色は関係しあっているのかもしれないとも思えてきます。

この日も、植物や薬や染色、宮中行事や短歌など多岐にわたる興味深いことば検定+でした。

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